エンリコ・アルベルトージEnrico Albertosi, 1939年11月2日 - )は、イタリア・ポントレーモリ出身の元サッカー選手。元同国代表。現役時代のポジションはGK。

経歴

クラブ

スペツィアでユース時代を過ごしたのち、1959年1月ACフィオレンティーナに所属していた18歳の時にセリエAデビューを果たした。フィオレンティーナでは2度のコッパ・イタリア優勝など4つのタイトルを獲得した。

1968年にルイジ・リーヴァ擁するカリアリ・カルチョに移籍。すると1969-70シーズンにはクラブ初であり唯一となるセリエA優勝に貢献した。

1974年にACミランに移籍すると、在籍6年間でセリエAとコッパ・イタリアをそれぞれ1度ずつ獲得した。

しかし1980年には八百長スキャンダル「トトネロ」に関与していたとして、2シーズンの出場停止処分を受けた。その後、1982年にエルピディエンセで現場復帰し、2年後の1984年に現役を引退した。

代表

1961年のアルゼンチン代表戦でイタリア代表にデビュー。

1970 FIFAワールドカップには、カリアリでの活躍により、ライバルとして知られたディノ・ゾフとのポジション争いに勝ち、正GKとして全試合に先発出場した。「世紀の試合」や「アステカの死闘」と呼ばれることになる準決勝の西ドイツ代表戦でも活躍を見せた。

エピソード

ACミランの後輩にあたるジャンルイジ・ドンナルンマが、2017年にクラブとの契約延長を拒否した際には、批判の声を上げた。

所属クラブ

  • 1954-1958 スペツィア・カルチョ (0試合0得点)
  • 1958-1968 ACフィオレンティーナ (185試合0得点)
  • 1968-1974 カリアリ・カルチョ (177試合0得点)
  • 1974-1980 ACミラン (170試合0得点)
  • 1982-1984 エルピディエンセ (44試合0得点) 

代表歴

  • イタリア代表 1961-1972
    • 代表デビュー:1961年6月15日 対アルゼンチン戦(4-1)
    • 代表通算:34試合出場 0得点

脚注


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