トーマス・J・ハンソン(Thomas J "Tommy" Hanson, 1986年8月28日 - 2015年11月9日)はアメリカ合衆国・オクラホマ州タルサ出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。
経歴
ブレーブス時代
2005年のMLBドラフトでアトランタ・ブレーブスから22巡目(全体677位)指名され、プロ入り。
2006年は傘下のアパラチアンリーグのルーキー級ダンビル・ブレーブスでプレーした。
2007年はA級ローム・ブレーブスとA 級マートルビーチ・ペリカンズでプレーした。
2008年はA 級マートルビーチとAA級ミシシッピ・ブレーブスと昇格していった。シーズン終了後にブレーブス傘下の最優秀マイナー投手に選出され、ベースボール・アメリカ誌の有望株ランキングではブレーブス傘下での最高評価を受けた。また、サンディエゴ・パドレスが年俸総額削減のため、ジェイク・ピービーを放出する可能性が出たときには、ハンソンはトレード要員の一人として名前が挙がったが、トレードは実現しなかった。
2009年は開幕をAAA級グウィネット・ブレーブスで迎えた。AAA級グウィネットでは11試合の登板で防御率1.49・被安打率.169を記録。ブレーブスは6月3日にトム・グラビンを解雇。その4日後の6月7日にハンソンはメジャー昇格を果たし、同日のミルウォーキー・ブルワーズ戦でメジャーデビュー。6回を投げ勝敗はつかなかったものの、3本塁打を浴び7失点(自責点6)を喫した。メジャー2試合目の登板となった12日のボルチモア・オリオールズ戦でメジャー初勝利。6月を4勝0敗で終え、月間最優秀新人に選出された。また、6月12日から7月4日にかけて26イニング連続無失点を記録。新人選手としては球団史上1982年のスティーブ・ベドローシアン(27イニング)以降で最長記録となった。11勝4敗・防御率2.89の成績でメジャー1年目を終えた。
ブレーブスでは2012年まで4年連続で二桁勝利を記録した。しかし、2011年に右肩を痛めて以来、球速が低下し、成績も悪化傾向にあった。
エンゼルス時代
2012年11月30日にジョーダン・ウォルデンとのトレードで、ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムへ移籍した。
2013年12月2日にFAとなった。
ホワイトソックス傘下時代
2014年2月14日にテキサス・レンジャーズと200万ドル 出来高の1年契約を結んだが、3月26日に解雇となる。その後、4月7日にシカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約を結んだが、6月に故障者リスト入りしてシーズンを終えた。
ジャイアンツ傘下時代
2015年5月13日にサンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結ぶ。11月9日に昏睡状態に陥ったと報じられ、同日死去した。その後暫定的な検死の結果が発表、死因はコカインの違法な摂取とアルコールの毒性が引き起こした遅発性合併症によるものだとされた。2013年に2歳年下の弟を亡くし、「弟の死に際して精神的問題を抱えていた。人生であのようなことは経験したことがなかった。どう対処していいか分からなかった。」("I was having mental issues with the death of my younger brother, [...] I didn't know how to handle it. [...] That was the first time anything like that had ever happened to me. I didn't know how to cope with it.") と語っていた。
投球スタイル
かつては最速158kmを記録したノビのあるストレートと、スライダーを軸に、カーブ、チェンジアップを投げる。
詳細情報
年度別投手成績 (MLB)
- 2013年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
背番号
- 48 (2009年 - 2013年)
脚注
関連項目
- メジャーリーグベースボールの選手一覧
- 現役中に亡くなったプロ野球選手の一覧
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- Tommy Hanson stats MiLB.com (英語)




