基貞親王(もとさだしんのう)は、淳和天皇の第三皇子。官位は三品・上総太守。
経歴
仁明朝の承和11年(844年)三品に叙せられ、承和13年(846年)上総太守に任じられる。承和15年(848年)2月に上総国で俘囚の丸子廻毛らが反乱を起こす。反乱はまもなく鎮圧されるが、翌嘉祥2年(849年)病気を理由に入道を願う上表を行い、許されて出家し大乗戒を受ける。
清和朝の貞観11年(869年)9月21日に病により薨去。享年43。
容貌が清く秀でており、非常に誠実で孝行心があったという。
官歴
『六国史』による。
- 承和元年(834年) 11月30日:賜越前国坂井郡荒田20町
- 承和11年(844年) 正月7日:三品
- 承和13年(846年) 正月13日:上総太守
- 嘉祥2年(849年) 12月8日:出家(三品上総太守)
- 貞観11年(869年) 9月21日:薨去
脚注
参考文献
- 森田悌『続日本後紀 (下)』講談社〈講談社学術文庫〉、2010年
- 武田祐吉、佐藤謙三訳『読み下し 日本三代実録 上巻』戎光祥出版、2009年




