北緯35度21分19.3秒 東経136度54分11.7秒
正覚寺(しょうかくじ)は、愛知県丹羽郡扶桑町にある臨済宗妙心寺派の寺院。
沿革
創立は詳らかではないが、本尊の薬師如来像は742年(天平14年)に聖武天皇の勅命により行基が自作したと古記録に伝わる。かつては真言宗の巨刹であったが、度重なる火災により廃頽したことから、1509年(永正6年)に臨済宗の友峰宗益が再興し、中興の開山とする。1584年(天正12年)の小牧・長久手の戦いの際に伽藍をはじめ累世の宝器、文籍などが悉く焼失し、廃寺となり境内も狭められた。1959年(昭和34年)2月に現在の本堂が再建された。現在は本堂の他に、庫裏と経堂が建ち、町指定文化財の円空仏がある。
尾北地方におけるキリシタン殉教地の1つでもある。
文化財
- 十二神将像(扶桑町指定有形文化財) - 1974年(昭和49年)4月5日指定。本尊薬師如来の両脇に、薬師如来を護る眷属として12体揃って安置されている。作者は円空で、寛文末から延宝初期(17世紀後半)の作と推定されている。12体全てが直径70cmほどの丸木を縦割りにした同木から作られており、円空の十二神将としては初期の作品である。大きさは63.4cmから76.5cmであり、額に干支が刻まれている。円空仏は愛知県、岐阜県の各地にあるが、十二神将は数が少ない。近隣では江南市の音楽寺に11体残されている。
- 大般若波羅密多経(扶桑町指定有形文化財) - 1988年(昭和63年)1月25日指定。1782年(天明2年)より1794年(寛政6年)まで13年間の年月をかけて元竜泉寺和尚是孝が書き写したもの。所々の巻末に法名、援助者、費用等が記されている。和装折本、縦30cm、横50cm、高さ30cmの文庫式木箱一箱に50巻入、漆塗り桐箱12箱。
その他
境内に地区の集会場が建っている。
脚注
関連文献
- 青山玄「円空造仏の動機について」『日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要』第2巻、国際日本文化研究センター、1990年3月、69-78頁、doi:10.15055/00000938、ISSN 0915-0900。
- 小島梯次「扶桑町・正覚寺及び江南市・音楽寺の円空作十二神将」『愛知県史研究』第15巻、愛知県、2011年3月、119-126頁、doi:10.24484/sitereports.116823-29314。
参考資料
- 1608年(慶長13年)の検地帳には、「丹羽郡前刀村正覚寺御縄除九畝歩」と記されている。
- 1692年(元禄5年)奉納の鰐口の銘に「丹羽郡斎藤村医王山正覚寺、元禄甲戌際四月吉祥日、奉掛御宝前総檀越村中」とある。
- 戦時中供出した梵鐘の銘に「尾州丹羽郡稲木荘斎藤邑、医王山正覚寺、天明八年戌甲二月再建立」とあった。




