下伊那郡(しもいなぐん)は、長野県の郡。全国最多となる13町村で構成されている。

人口53,873人、面積1,270.25km²、人口密度42.4人/km²。(2025年2月1日、推計人口)

以下の3町10村を含む。

  • 松川町(まつかわまち)
  • 高森町(たかもりまち)
  • 阿南町(あなんちょう)
  • 阿智村(あちむら)
  • 平谷村(ひらやむら)
  • 根羽村(ねばむら)
  • 下條村(しもじょうむら)
  • 売木村(うるぎむら)
  • 天龍村(てんりゅうむら)
  • 泰阜村(やすおかむら)
  • 喬木村(たかぎむら)
  • 豊丘村(とよおかむら)
  • 大鹿村(おおしかむら)

郡域

1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記3町10村に飯田市を加え、松川町の一部(上片桐)を除いた区域にあたる。

歴史

郡発足までの沿革

  • 「旧高旧領取調帳」に記載されている、信濃国伊那郡のうち後の本郡域の明治初年時点での支配は以下の通り。●は村内に寺社領が、○は寺社除地が存在。(1町175村)
  • 慶応2年6月19日(1866年7月30日) - 白河藩が棚倉藩に転封。
  • 慶応4年
    • 2月1日(1868年2月23日) - 棚倉藩が白河藩に転封(実行されず)。
    • 2月17日(1868年3月10日) - 幕府領が名古屋藩の管轄となる。
    • 8月2日(1868年9月17日) - 飯島代官所に伊那県を設置。
  • 明治元年
    • 10月4日(1868年11月17日) - 幕府領の一部(飯島代官所)が伊那県の管轄となる。
    • 12月15日(1869年1月17日) - 白河藩が戊辰戦争後の処分により減封。国内の領地は伊那県の管轄となる。
  • 明治2年
    • このころ旗本領が伊那県の管轄となる。
    • 9月 - 幕府領(千村氏預地・知久氏預地)が伊那県の管轄となる。
  • 明治3年12月23日(1871年2月12日) - 高須藩が廃藩。領地は名古屋藩の管轄となる。
  • 明治4年
    • 7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により藩領が飯田県名古屋県の管轄となる。
    • 11月20日(1871年12月31日) - 第1次府県統合により全域が筑摩県の管轄となる。
  • 明治5年(1872年) - 柿木島村の一部が山村、残部が島田村にそれぞれ合併。(1町174村)
  • 明治8年(1875年) - 下記の町村の統合が行われる。カッコ内は統合時期。特記以外は1月23日。(1町31村)
  • 明治9年(1876年)8月21日 - 第2次府県統合により長野県の管轄となる。

郡発足以降の沿革

  • 明治12年(1879年)
    • 1月4日 - 郡区町村編制法の長野県での施行により、伊那郡のうち1町31村の区域に行政区画としての下伊那郡が発足。郡役所を飯田町に設置。
    • 2月13日 - 米川村が分割して清内路村・久米村・竹佐村・山本村となる。(1町34村)
  • 明治14年(1881年)(1町68村)
    • 4月14日 - 遠山村の一部が分立して上村となる。
    • 7月25日 - 信夫村が分割して下川路村・駄科村・長野原村・桐林村・時又村・上川路村となる。
    • 8月2日 - 市田村が分割して出原村・吉田村・下市田村・大島山村・上市田村・牛牧村となる。
    • 8月12日
      • 阿知村が分割して駒場村・春日村・智里村となる。
      • 三綱村が分割して立石村・下瀬村・伊豆木村となる。
      • 松尾村の一部が分立して毛賀村となる。
      • 伊賀良村が分割して北方村・大瀬木村・上殿岡村・下殿岡村・三日市場村・中村となる。
    • 8月 - 鼎村の一部が分立して稲井村となる。
    • 9月2日
      • 上郷村が分割して黒田村・座光寺村・飯沼村・別府村となる。
      • 旦開村の一部が分立して和合村・売木村となる。
    • 9月9日
      • 里見村が分割して元大島村・大島村(第2次)・山吹村となる。
      • 久堅村が分割して上久堅村・下久堅村となる。
      • 大下条村が分割して東条村・西条村・南条村(第2次)・北条村となる。
    • 11月9日 - 生田村の一部が分立して河野村となる。
  • 明治15年(1882年)
    • 2月16日 - 遠山村が分割して木沢村・和田村・八重河内村となる。(1町70村)
    • 4月15日 - 大鹿村が分割して大河原村・鹿塩村となる。(1町71村)
    • 9月7日 - 和田村の一部が分立して南和田村となる。(1町72村)
  • 明治16年(1883年)
    • 2月14日 - 竹佐村の一部が分立して箱川村となる。(1町73村)
    • 11月10日 - 神原村の一部が分立して長島村となる。(1町74村)
  • 明治17年(1884年)
    • 2月9日 - 平波村が分割して浪合村・平谷村となる。(1町75村)
    • 5月19日 - 上久堅村の一部が分立して虎岩村となる。(1町76村)

町村制以降の沿革

  • 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。(1町41村)
    • 飯田町 ← 飯田町、上飯田村(現・飯田市)
    • 大島村 ← 大島村(第2次)、元大島村(現・松川町)
    • 山吹村(単独村制。現・高森町)
    • 市田村 ← 上市田村、下市田村、吉田村、牛牧村、出原村、大島山村(現・高森町)
    • 座光寺村(単独村制。現・飯田市)
    • 上郷村 ← 飯沼村、別府村、黒田村(現・飯田市)
    • 上飯田村(飯田町となった区域を除き単独村制。現・飯田市)
    • 鼎村 ← 鼎村、稲井村(現・飯田市)
    • 松尾村 ← 松尾村、毛賀村(現・飯田市)
    • 竜丘村 ← 駄科村、桐林村、時又村、長野原村、上川路村(現・飯田市)
    • 下川路村(単独村制。現・飯田市)
    • 伊賀良村 ← 大瀬木村、北方村、上殿岡村、下殿岡村、三日市場村、中村(現・飯田市)
    • 山本村 ← 山本村、竹佐村、久米村、箱川村(現・飯田市)
    • 三穂村 ← 伊豆木村、下瀬村、立石村(現・飯田市)
    • 清内路村(単独村制。現・阿智村)
    • 会地村 ← 駒場村、春日村(現・阿智村)
    • 伍和村智里村(それぞれ単独村制。現・阿智村)
    • 波合村 ← 波合村(現・阿智村)、平谷村(現・平谷村)
    • 根羽村(単独村制。現存
    • 下條村 ← 睦沢村、陽皐村(現存
    • 富草村(単独村制。現・阿南町)
    • 大下条村 ← 東条村、西条村、南条村(第2次)、北条村(現・阿南町)
    • 豊村 ← 売木村(現・売木村)、和合村(現・阿南町)
    • 旦開村(単独村制。現・阿南町)
    • 神原村(単独村制。現・天龍村)
    • 平岡村 ← 平岡村、長島村(現・天龍村)
    • 泰阜村(単独村制。現存
    • 千代村 ← 千代村、千栄村(現・飯田市)
    • 竜江村(単独村制。現・飯田市)
    • 下久堅村 ← 下久堅村、虎岩村(現・飯田市)
    • 上久堅村(単独村制)(現・飯田市)
    • 喬木村(単独村制。現存
    • 神稲村河野村(それぞれ単独村制。現・豊丘村)
    • 生田村(単独村制。現・松川町)
    • 大鹿村 ← 大河原村、鹿塩村(現存
    • 上村木沢村和田村八重河内村南和田村(それぞれ単独村制。現・飯田市)
  • 明治24年(1891年)4月1日 - 郡制を施行。
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和2年(1927年)4月1日 - 下川路村が改称して川路村となる。
  • 昭和4年(1929年)4月1日 - 上飯田村が町制施行して上飯田町となる。(2町40村)
  • 昭和9年(1934年)4月1日 - 波合村が分割され、一部(浪合)に浪合村、残部(平谷)に平谷村が発足。(2町41村)
  • 昭和12年(1937年)4月1日 - 飯田町・上飯田町が合併して飯田市が発足し、郡より離脱。(41村)
  • 昭和23年(1948年)7月1日 - 豊村が分割され、一部(売木)に売木村、残部(和合)に和合村が発足。(42村)
  • 昭和29年(1954年)4月1日 - 鼎村が町制施行して鼎町となる。(1町41村)
  • 昭和30年(1955年)4月1日(1町38村)
    • 和田村・八重河内村・南和田村が合併して遠山村が発足。
    • 神稲村・河野村が合併して豊丘村が発足。
  • 昭和31年(1956年)9月30日(2町27村)
    • 大島村が上伊那郡上片桐村と合併して松川町が発足。
    • 座光寺村・松尾村・竜丘村・三穂村・伊賀良村・山本村・下久堅村が飯田市と合併し、改めて飯田市が発足、郡より離脱。
    • 会地村・智里村・伍和村が合併して阿智村が発足。
    • 平岡村・神原村が合併して天龍村が発足。
  • 昭和32年(1957年)7月1日(4町22村)
    • 山吹村・市田村が合併して高森町が発足。
    • 大下条村・和合村・旦開村が合併して阿南町が発足。
  • 昭和34年(1959年)
    • 4月1日(4町20村)
      • 阿南町・富草村が合併し、改めて阿南町が発足。
      • 生田村が松川町に編入。
    • 8月1日 - 高森町の一部(山吹の一部)が松川町に編入。
  • 昭和35年(1960年)4月1日 - 遠山村・木沢村が合併して南信濃村が発足。(4町19村)
  • 昭和36年(1961年)3月31日 - 川路村が飯田市に編入。(4町18村)
  • 昭和39年(1964年)3月31日 - 千代村・竜江村・上久堅村が飯田市に編入。(4町15村)
  • 昭和40年(1970年)4月1日 - 上郷村が町制施行して上郷町となる。(5町14村)
  • 昭和59年(1984年)12月1日 - 鼎町が飯田市に編入。(4町14村)
  • 平成5年(1993年)7月1日 - 上郷町が飯田市に編入。(3町14村)
  • 平成17年(2005年)10月1日 - 上村・南信濃村が飯田市に編入。(3町12村)
  • 平成18年(2006年)1月1日 - 浪合村が阿智村に編入。(3町11村)
  • 平成21年(2009年)3月31日 - 清内路村が阿智村に編入。(3町10村)

変遷表

行政

歴代郡長

脚注

注釈

出典

参考文献

  • 『長野県史 近代史料編 第2巻 郡政』
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 20 長野県、角川書店、1990年7月1日。ISBN 4040012003。 
  • 旧高旧領取調帳データベース
  • “明治以降の市町村合併について”. 長野県 (2013年8月30日). 2024年7月21日閲覧。

関連項目

  • 南信州地域
  • 上伊那郡

国土交通省中部地方整備局 飯田国道事務所 地域マップ

下伊那郡喬木村 毛無山(長野県下伊那郡喬木村) Map, Art, Takagi

貸地 下伊那郡高森町下市田 信州田舎暮らし情報

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